和紅茶とは?和紅茶の歴史

『和紅茶』とは、"日本国内で栽培・加工された紅茶"を指します。
お茶といえば「緑茶」というイメージが強い日本。
緑茶も紅茶も同じ茶葉から作られますが、日本で作られるお茶のほとんどは「緑茶」として飲まれているため、「紅茶」に加工される茶葉はわずかなのだとか。
しかし近年ではだんだんと紅茶を作る茶園も増え、存在感を増している和紅茶の歴史に迫ります。

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国産紅茶の始まり

日本でお茶の生産が盛んになったのは、鎖国が終わった明治初期からと言われます。
明治初期~中期の日本では、生糸とともにお茶が輸出の主力でした。
その頃世界では、アメリカ独立戦争・アヘン戦争などお茶が大きく関わった争いが各地で勃発していました。
明治政府は、海外では「緑茶よりも紅茶の需要が高まっている」ことに注目し、緑茶が主流の日本も紅茶の加工に乗り出すこととなります。
「日本紅茶の父」とも呼ぶべき人物 多田元吉は、中国やインドなど世界を飛び回り、紅茶の製造法・設備・機械などを調査するとともに、インドのアッサム地方からお茶の種を持ち帰りました。
多田は帰国後、紅茶の原木を静岡県丸子で栽培し、機械技術の研究も併せて行いました。
その後、大久保利通の号令で 全国に順次『紅茶伝習所』が設けられ、各地へ紅茶製造の教育が広まっていくこととなります。

日本初の紅茶品種『べにふうき』の誕生

その後、世界的な紅茶需要の高まりとともに、日本の紅茶生産は昭和初期にピークを迎えました。
しかし、1971年に紅茶の輸入が自由化されてからは、インドやスリランカ産の良質で価格の安い紅茶に押され、国内の紅茶生産はほぼ壊滅状態にまで追い込まれてしまいます。

紅茶産業が下火になってからも、独自の品種改良を地道に続けてきた日本。
1995年に『べにふうき』という日本で初めての紅茶品種が生まれたことにより、日本の紅茶産業の状況が一変します。
『べにふうき』は、アッサム系の紅茶である「べにほまれ」を母親、香りの良いダージリン系の「枕Cd86」という品種を父親として誕生した、海外産の紅茶に負けないフルボディの品種です。
和紅茶は海外産の紅茶に比べて苦みや渋味が少ないと言われますが、べにふうきもストレートでも渋みを感じさせない、まろやかな旨味を感じることができます。
また、べにふうきには花粉症等に対する抗アレルギー作用を持つ「メチル化カテキン」が多く含まれていることがわかり、その成分を活かすために紅茶ではなく緑茶に加工されることも多い品種です。

世界中からお茶が出品されて審査されるイギリスの品評会で、2022年にべにふうきが世界一である最高賞を受賞して大きな話題になったこともあり、近年さらに注目を集めている和紅茶。
産地や作り手が異なると、それぞれに違った味わいを楽しむことができる和紅茶は、べにふうきだけでなく、緑茶系の「やぶきた」など品種による風味の違いも魅力です。
国産素材の安心感や地産地消への関心の高まりも、和紅茶へ注目が集まる理由のひとつとなっています。